支援者は『食』『老』『死』と如何に向かい合ったか

カフェ寺スホスト 飯島 惠道(大学院2年)

 2011年3月11日、東日本の大地が大きく揺れた。次いで大津波が発生し陸地を飲み込んだ。そこに生きるものまでも。ほどなくして、長野県北部栄村を震源とする地震が発生。信州の大地も大きく揺れた。何日も余震が続いた。緊急地震警報の音がなかなか耳から離れず少しの揺れにも敏感になってしまった。テレビに映し出される東北地方の被害状況は、あまりにも衝撃的であり、これが本当に日本で起こっていることなのか?とわが耳目を疑いたくなった。嘘であってほしかったが、しかしそれは現実に起こっていることであった。地震発生時の様子をテレビで見るたびに、恐怖を追体験していたように思う。さらに、福島県の原子力発電所の事故が発生。原子力発電所が事故を起こすとどういうことになるか、チェルノブイリ原発事故後、現地がどういうことになったか、そして、そのようにならないためには人類はいかなる道を歩むべきか、多くのことが語られていたはずである。学んだはずである。しかし、残念ながら、我が国ではその教訓が生かされていなかったことを、今回の事故を通してあらためて知った。こちらもショックを隠せない出来事であった。このような未曽有の災害の中、現場ではどのような状況であるのか、あるいは支援活動の実際とはいかなるものであるか、そして遠く離れた長野県に居ながらにして支援に関わることはどういうことなのかということにつき、講師の先生よりお話を伺った。次いで、「食」「老」「死」をキーワードとして支援活動について討議を行い、理解を深め更なる支援活動に繋げていこうという意図のもと、わが地域フォーラムの「ワールドカフェセッション」が行われた。

 当日のプログラムは3部構成。1部:基調講演、2部:ワールドカフェ寺ス、3部:祈り。
 1部では、福島県昌建寺住職 秋央文師により「Fukushimaの現況に思うこと」、秋田県宝昌寺住職 新川泰道師により「仮設住宅での支援活動〝お茶っこサロン〟からのレポート」、長野県軽井沢ショー記念礼拝堂司祭 土井宏純師により「キリスト教(聖公会)における支援活動」という順に基調講演をしていただいた。

放射線被曝は「差別」を誘発

 秋央文師は福島県中通り・県南地方にある泉崎村在住であり、昌建寺のご住職をされている。『「Fukushima」の現況に思うこと』と題して、現在、ご自身がいかなる状況にあるか、また、福島が向き合う「苦悩の現実」についてお話しくださった。

 原子力発電所の事故以降、避難区域の設定⇒避難指示⇒避難区域の見直し⇒除染、という具合に、原子炉施設の安全確保状況を確認しつつ適宜対策が講じられている。しかし、ここにまとめられたものは、あくまでも事後報告にすぎない。放射線被ばくのリスクに曝されている被災地の住民が、いかに不安な毎日を過ごしているかということは、秋さんのご発表を通してひしひしと伝わってきた。線量計にて計測する暮らし、この食品は大丈夫か?とまず疑う暮らし、子供の未来を案ずる暮らし、かようにストレスフルな日送りを、果たしていままで想定していたであろうか?答えは「NO!」である。突然、そのような暮らしがやってきたといっても過言ではない。秋さんのみならず、福島県民が一様に感じている不安であり憤りであろう。ご発表の中で、「原子力発電所が福島にあるということ」について、今迄あまりにも無関心であったと仰っていたが、もし、政府がそのリスクについて、住民に対して説明責任を果たしていたら、少なくとも「無関心」ではいられなかったのではなかろうか。「原発を有する地域の住民及び原発に従事する職員は、そのリスクに関して情報を与えられる必要がある」ということこそ、チェルノブイリ原発事故の教訓であったはずである。約20年前、筆者はチェルノブイリ原発事故後の現地の被害状況調査に同行し、報告書を作成したが、その時にも今書いているのと同じようなことを書いた記憶がある。同じことを二度も報告しなければならないのか?しかも我が国でかような事故が起こってしまったことに対し、不条理さを感じずにはいられない。国が正しい情報を流さないのであれば、私たちは自身で情報を集めるしかない。学ぶしかない。今風に言えば「リテラシー」を高めるということになろうか。チェルノブイリ原発事故後、私たちはそれを教訓として、原発に対するリテラシーを高める努力をすべきであった。しかし、呑気に構えすぎていた。後悔することしかできないが、日本に原発がある以上、今後その努力を重ねていくべきであろう。
 原発事故は、放射線被ばくという実害をもたらしたのみならず、「差別」をも誘発した。そのことに対して、秋さんは警鐘をならしておられる。既に福島ナンバーの車への加害、福島県民のホテル宿泊拒否、コンビニ入店拒否などの差別がおこっている。更に、今後、子供たちが成長し結婚する際、あるいは就職する際に差別被害をこうむるかもしれないことに対しても危惧を抱いておられる。その差別の根拠やいかに?いや、根拠などないのである。差別にエビデンスなど無い。福島県在住の方々こそ、甚大な被害をこうむっているのだということを、今一度、強く認識する必要がある。不当な差別をしないこと、そのような差別が身近にあったとしたら、感情に任せて反論するのではなく、オバマ大統領の父親が自身への差別に対して「理性」をもって相手に説諭したように、「その差別は不当である。根拠のないことである。」と説諭できるよう、準備を怠らないようにしたいと思う。

「環境」「身体」を「仮説」とし、老病死」が現実に

 新川さんのご発表は、津波被害を受けた地域に対しての支援活動についてであった。新川さんは日ごろ「ビハーラ秋田」の活動をされており、ご自身のお寺の檀信徒さん以外の方々の苦しみや痛みにも寄り添ってこられたのである。それは「ビハーラ秋田」の会員の方々も同じことであろう。
 「ビハーラ」とは「安息、休息」という意味のサンスクリット語であり、後に「寺院」を指す言葉、また「仏教ホスピス活動」を指す言葉ともなったとのことであるが、今回のご発表を通して、「ビハーラ秋田」の会員の方が行くところ、そしてその方々の活動の現場こそ、「ビハーラ」と言うに相応しいと感じた。ゆえに、仮設住宅も、そういう意味では「ビハーラ」であるのではなかろうか。
 新川さんの支援活動の概要をお聞きして感じたことは、活動を展開する根幹のところに『「生活」を大切にするまなざしがある』ということであった。「生活」とは換言すれば「衣食住」である。生きる基本であり、人間の基本的欲求の部分である。かっこいい物言いはしないけれども、「生きてほしい!」「死なないで!」と、新川さんは心の中で叫び続けておられるのではなかろうか。その強い思いが、ビハーラ秋田の支援活動を支え、長期にわたる支援活動を可能にしているように思えるのである。
 仮設住宅での「お茶っこサロン」活動のご紹介では、そこで使う食器などを「新品」でそろえることに拘ったとのことであった。ここにも「生活視線」が生かされている。「他者が使ったもの」は他人の物であり、自分のものではない、確かにそうである。私自身、家族でさえ、私の茶碗を使ってご飯を食べていたりお茶を飲んでいるのを見ると「それ私の茶碗!勝手に使わないで!」と言ってしまう。それだけ「自分の所有物」には愛着がこもってしまうということだ。それが「生活」ではないだろうか?それが「日常」ではないだろうか?「愛用の品」に囲まれて生活できることで、安心がもたらされる、その感覚は共有していただけることと思う。しかし、地震が、津波が、その「愛用の品」を全部持って行ってしまったのだ。奪っていってしまったのだ。「生活」「日常」を奪ってしまったのだ。「安心」さえも奪われた。そしてそこに苦しみが生ずる。その苦しみをいかに取り除くか?その問いに対して、新川さんは「生活と日常を取り戻すこと」という答えを導き出したのではないだろうか。それは、師の支援活動全般をみればよくわかる。
 「自分たちの今の生活環境自体、仮設住宅で暮らすこととなんら変わりはないではないか」、新川さんのこの言葉は目からうろこが落ちるくらい衝撃的であった。仮に、今住んでいるところが仮設住宅だと考えてみる。すると、いずれここを去らなければならない日が来ることが想定できる。自分の物のようだけれどもそうではない。だから傷つけないように大事に使う、自分の後にここを使う人のことを考えて行動をする、次に自分が行くところについても考える等々、安泰な日常生活ではおそらく意識にのぼってこないようなことが頭に浮かんできた。これは私の人生にも言えることである。今、私は生きている。自分の体と心で生きている。それを受け入れてくれる環境もある。しかし、いずれ私はこの世を去らなければならない、自分の体のようではあるが、いずれこの体は機能停止することになる、思うように機能しなくなった頃には自分の身の回りの世話さえ自分ではできなくなる、誰かに世話にならなければならない、その時その人に迷惑をかけないようにしっかりと身の回りの整理をしておかなければならない、と。身体の機能の低下を「老・病」とし、機能停止を「死」ということもできる。かくして「環境」「身体」を「仮設」と想定することで、「老・病」「死」の現実があらためて意識されうる、新川さんの言葉を聞いてあらためてこのことに気付いた。
 仏教では、人間の体は「地水火風」という「四大(4つの元素)」が仮に和合したものであり、そのバランスが崩れると病気になり(四大不調)、それが不可逆的に回復不可能となったとき、四大は分離し「死」を迎えると説く。新川さんの「仮設」の発想は『人間存在は仮和合である』という論理に相通ずるものがある。
 「仮」と想定するからこそ、「今」に対する緊張感が生じる。今を大切にしようという気持ちが起こる。新川さんご自身のそのような思いが、仮設住宅に住む方々の「今」を大切に守りたいという願いに発展し、そこに生活する方々の「老病死」をサポートする活動にもつながっているのではないだろうか。
 「表札」を作成するボランティアを行ったというお話もあった。表札を作るにあたり「自分はここにいる」という張り合いを持ってほしいという気持ちもあった、とのこと。石垣りんさんの「表札」という詩を思い出した。

 表札を作る支援活動をするにあたり、新川さんのグループはためらいを感じたという。「ウケないのではないか?」「必要とされないのではないか?」というためらいであったと。もし、仮設住宅にこの詩の作者である「石垣りん」さんが居たとしたら、新川さんたちのグループの表札はいかなる評価をうけただろう?もし、「そこに居る人を知らしめるためだけの札」(たとえば病室や旅館にかけられるような名札)であるとしたら、「様」「殿」をつけたかもしれない。しかし、彼らが考えたのは「表札」であった。表札であるから「様」も「殿」も付かず、他人がかけてくれる「表札」ではない。代筆でこそあれ、その人の存在を証明する「表札」である。そういう意味では「天晴れ」との評価を受けるのではないだろうか。
 以上の如く、新川さんの支援活動からは、多くの事を学ばせていただいた。講演の最後に「支援活動の主役は自分たちではなく、支援を受ける方々である」と結ばれた。だからこそ「生活視点」での支援活動を組み立てることができたのだと納得した。

風化・忘却が恐ろしい

 土井さんからは「キリスト教(聖公会)における支援活動」と題してご講演いただいた。まず、私の寺でキリスト教の司祭の方にご講演いただくのは、寺の歴史始まって以来のことである。それだけでも、寺の歴史に新たな一頁を加えられたような気持になっている。
 現在、聖公会では「いっしょに歩こう!プロジェクト」を立ち上げ支援活動にあたっているとのこと。これは「わたしたちは、東日本大震災により困難を負って生きる人々に敬意を払っていっしょに歩きます」というスローガンのもとに展開されるプロジェクトである。
 まず、聖公会の支援活動についてのDVDを鑑賞。続いて、司祭のお話を伺った。
 その中で最も印象に残ったのは「ふじ幼稚園(宮城県亘理郡山元町)」の送迎バスが津波にのみ込まれ、園児と先生が天に召されたというお話であった。
3月11日、地震が発生したのは丁度降園の時間に地震が発生。先生たちは、こんなひどい揺れははじめてであり、同時に、阪神淡路大震災の時には「圧死」した方が多かったことを思い出し、とにかく園児たちを建物から外に連れ出してそのままバスに乗せ帰宅させる体制を整えた。そして、園児たちと送迎バスに乗っていたところを津波に襲われた。

 記事中に出てくる中曽順子先生は、命からがら園児を救出し、民家の二階にて、雪が降るほどの寒さの中、園児の体を温めながら、救助を待っていた。翌朝、自衛隊により発見されたが、二人は既に天に召されていた。凍死であった。何度読んでも涙が出る記事である。濁流の中での救出は本当に大変であったことと思う。また、その惨状を目の当たりにした職員も園児も、心に大きな傷を抱えてしまったのではないだろうか。そして、民家の二階で静かに眠る順子先生と園児を発見した自衛隊員も、同じくらいあるいは更に大きな傷を抱えたままなのではないだろうか。
 このような大規模な災害時に、消防隊員、警察官、医療関係者、自衛隊員などが、現場をとおして受ける、通常とは異なる精神的ストレスを「惨事ストレス」という。悲惨な状態の遺体を扱うこと、子供の遺体を扱うこと、自分自身に危険の及ぶ活動、負傷者や殉職者が出ること、被害者が自分の家族や知り合いであること、などが惨事ストレスをもたらしやすい状況であることが知られている(「消防士を救え~災害救援者のための惨事ストレス対策講座~」東京法令 平成21年)。このケースの場合には、園児たちを救出にあたった職員たちも、この惨事ストレスに見舞われたことと思う。そして子供たちも。土井さんのお話の中で、子供たちの間で「お葬式ごっこ」が流行っていたという件があったが、それはこの幼稚園だけにみられたことではないようである。東北地方で「子供のグリーフケア」活動を行っているグループの報告によると、津波被害を経験し、水に浮かぶ遺体、あるいは陸地に打ち上げられた数多くの遺体をかきわけて逃げてきた子供たちが多く、その子たちは、グロテスクな話をしたり、グロテスク比べをするような現象が、昨年の夏ぐらいから増えているとの報告もある。しかし、これだけ多くの死者を出すような大災害というのは戦後初めてのことであり、それを経験した子供たちがどのような反応を示し、どのようにしてそれを乗り越えていくかという研究は無いため、今は、グロテスクな話やグロテスク比べやトラウマ遊びなどをしていても、すぐにやめさせたり抑え込むようなことはせず、まずはそれに耳を傾け、心の中にしまいこんでしまわないようにすることが必要であるとのことであった。しかし、それが他者を傷つけたりする可能性があったり、それを見ていたり聞いていたりする子供の顔色が蒼くなってきているようなときには、途中でやめさせる必要があるとのことである。
 土井さんは、復興が進むにつれて、今回の地震被害、津波被害のことが風化すること、忘れられてしまうことが一番恐ろしいことであると仰っていた。そのためにも、機会があったら、是非現地に足を運んでほしいと。遠くに住んでいると、復興が進んでいるような錯覚をおこしてしまいがちだが、実際には、復興はほとんど進んでいない、そのことを自身の目で確かめることも、支援活動と言えるのではないだろうかと仰っていた。

南無浄瑠璃光薬師如来

 3人の講師の先生による基調講演ののち、「ワールドカフェ寺ス」という対話型のグループセッションが行われた。詳細は別記を参照していただけたらと思う。講師への質問、あるいは参加者の意見などが活発に出され、会場は熱気に包まれた。これこそが今回の企画の目玉でもあった。一方通行ではなく、全員参加型のセッションにより、主催者も参加者も充実した時間を共有できる、しかも、お茶を飲みながら、カフェに居るような気楽な気分の中で意見を交わすことができる、これがワールドカフェセッションの醍醐味である。殊に今回は会場が「寺」であることから「ワールドカフェ寺ス」とう名前をつけさせていただいた。
 第3部は、東日本大震災の被害に遭われた方々への追悼の思いをこめた「祈り」の場とさせていただいた。今回は超宗派での「祈り」の形を実現するために、写真と音楽による演出をし、静かにゆらめくキャンドルの炎に照らし出されたその時空の中で、そこに居合わせたものそれぞれが心の中で祈りを捧げるという形をとった。皆の祈りが、今回の災害で先に旅立ったすべての御霊に届き、冥福を資助するものと信じたい。
 午後1時から6時までという長丁場であったが、最後まで多くの方々にご参加いただき、非常に実り多い時間を過ごさせていただくことができた。今回のこの企画が、震災支援の現場に携わる方々のお力になれたのであれば幸いである。当日、総合司会をおつとめいたいだいた井上教授には、ご多忙中にも関わらず大役をお受けいただけたこと、この場を持って感謝の意を表したい。

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