土井さん 震災支援の現場から

講師/土井 宏純師 軽井沢ショー記念礼拝堂 牧師

 この度、お寺で講師をお願いしますと言われたとき、とても嬉しく思いました。本当にご縁を感じます。現在、私はかつて中山道の宿場町だった軽井沢に住んでいますが、出身は愛知県の三河地方、東海道の「御油宿」というところで、豊橋よりもう少し北寄りの豊川になりますが、私の家は、代々曹洞宗のお寺の檀家で、元禄からずっと続いている家です。父が戦争を機にキリスト教に改宗をしましたが、数年前に祖母が他界した時は、曹洞宗のお坊さん何人かが来てくださり、供養して頂きました。私は長男ですので、実家に戻ると、墓石だけで20~30くらいありますが、それを護っています。そういう意味においては何かありがたいものを感じます。
 東日本大震災のお話ということで、このテーマは私には相応しくないんじゃないか、というのは、私は現地で支援活動などに従事しているわけではないので、と申し上げたが、いや寧ろ現地に居ない人の話も必要なんだ、ということで上手くまとめられたというか、気が付いたらここにいたという次第です。
 先程、秋さんがお話をされました放射能の話、軽井沢は碓氷峠を越えて、毎時2.2マイクロシーベルトが私の居る教会のすぐ近くの幼稚園の雨樋のところで計測され、その幼稚園には私の妻も務めておりまして、そういう意味では私もガイガーカウンターを持っています。ただ、先ほどの話を聞いて、私のもロシア製のバッタモンなのかな?という風に感じています。新川さんが話をしてくださったビハーラの事も、20代で私が司祭になって最初の任地が実は長岡だったんです。長岡西病院にも信者さんが入院していて、何度も足を運んだこともあり、ビハーラについても勉強させて頂きました。本当にご縁を感じます。キリスト教的に言うと、聖霊のお導きを感じますねということになりますが、ありがたいと思っています。
 私としては、お二人が東北の現地で大変なお働きをなさっておられる、ということとは少し違う視点から、またキリスト教的な立場からお話しさせていただきたいと思っています。テーマとして与えられましたのが、「キリスト教における支援活動について」。あまりにも大きいテーマだったんですが、私たちが属している教派は「聖公会と申しますが、聖公会というのはイギリスの国教会のことです。英国国教会は、カトリックかプロテスタントかとよく聴かれますが、私たちのアイデンティティとしては、カトリックとプロテスタントのちょうど真ん中あたりに位置する教派だとご理解いただければよいかと思います。アジアの中の漢字を使う国で、英国国教会のことを「聖公会」という表現をします。
 ここで、日本「聖公会」が行っている東日本大震災支援活動「いっしょに歩こう!プロジェクト」を記録したDVDの一部を見て頂いて話を続けたいと思います。

支援活動のDVD概要

 緊急支援活動が一段落した8月23日、福島県いわき市小名浜、「聖テモテ教会」に仮設のボランティアベースを開設。同じく、岩手県「釜石神愛教会」8月16日ボランティアベース開所。
 津波により壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市。死者行方不明者の2割以上がこの地域に集中しています。石巻市湊地区では多くの家の一階部分は浸水したが被害を免れた自宅の二階部分で生活している在宅被災者が数多く暮らしています。避難所を中心におこなわれた行政支援は、この地域に全く届かなかった。「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、この地域に定期的に救援物資を届けています。
 仙台市若林区にある「まどか荒浜」は、20代から50代までの知的障害のある方々が集う作業所。もともと海岸のすぐ近くに設けられていた作業所は、津波により全壊。しかし震災後、新しい商品づくりに取り組んでいます。一つ一つ丁寧に磨かれた繭玉に、色とりどりの飾りをつけると、オーナメントやイースターエッグに変身。「いっしょに歩こう!プロジェクト」では、この繭飾りを全世界に向けて販売していこうとプランをたてている。
 震災では多くの外国人も被災。南三陸町や気仙沼地域には、日本に嫁いだフィリピン人女性が多く暮らしています。35年前にこの地域に嫁ぎ、小学校の英語講師として働く佐々木アメリアさん。地域のフィリピン人女性の世話役として頼られている。彼女たちの仲間の一人は避難が遅れ、津波の犠牲となりました。震災当日、町の防災無線で流れる「高台に避難してください」という言葉が理解できなかったという。一緒に歩こうプロジェクトでは、フィリピン人女性を対象とした日本語教室をスタートさせた。介護ヘルパー二級の資格の取得まで支援を続ける予定。「仕事無い、家ない、・・・でも悔しくない、私たちはひとりでない、私たちを助けてくれるたくさんの人たちが日本にはいる、なんて私たちは幸せなんだと思った。」(フィリピン人女性のインタビューより)
 福島県新地町。1936年にこの地に献堂された「磯山聖ヨハネ教会」は75年の間、信徒たちの手で守られてきた。大津波がこの地を襲った時、小高い丘に建てられた磯山教会は波から逃れる人々のシェルターとなった。しかし、震災により聖堂の一部は壊れ、今は礼拝を行えない状態。
 7月、避難所から仮設住宅へと移り住んだ信徒の部屋で、聖餐式が再開されました。津波によって命を奪われた三宅實さん・よしみさん夫妻は、磯山教会の熱心な信徒だった。三宅さん夫妻の二人の娘のうちの一人、中曽順子さんもまた津波の犠牲となった。新地町の北隣、宮城県山元町。幼稚園の教員を務めていた順子さん、3月11日、園児たちと共に送迎バスに乗っていたところを津波に襲われた。園児たちを乗せたまま津波に押し流されたバスは、民家で衝突、次第に浸水していった。雪が降り出すほどの寒さの中、バスから園児を避難させた順子先生、救助を待ちながら、必死で子供たちを勇気づけた。自衛隊による救出がはじめられたのは翌朝のこと。順子先生はすでに天に召されていた。8月、地域の公民館を借りて「ふじ幼稚園」が再開された。その日、名古屋柳城短期大学保育科の学生たちがボランティアにやってきた。津波を体験した子供たちの心に寄り添いたい、そんな目的をもってこの地を訪れたのです。学生たちを驚かせたのは、子供たちの自由遊びの時間、「お葬式ごっこが流行っていたこと。津波により8名の園児が亡くなったふじ幼稚園、その再開にあたって葛藤が繰り返されました。「バスの中で怖い思いをした子供たちの心のケアというものができていなかった。私たちには今それをする役割がある」(園長先生)。生きている、命ある子供たちの今を大切にしてほしい、それが子供たちの命をつないで旅立った中曽順子先生からの遺言だったのかもしれません。
 DVD終了。
 はい、今、少し見ていただきましたが、私が今回このような機会を与えられたということで、2012年の1月2月頃に予定していた現地訪問を、先日の日曜日から火曜日(12月2日~4日)と行ってきました。今、最後のところに映った「ふじ幼稚園」と、その隣の福島県新地町の「磯山聖ヨハネ教会」を訪ねました。そこにスポットをあてて皆さんと共有をしたい。なぜ共有したいかというと、私たちは、現地に居ないと忘れてしまう。そのことが本当に恐ろしいことだなと感じたからです。
 ふじ幼稚園の写真では、175センチの男の方が立っているその上まで津波がきた。幼稚園は海岸から1.5キロの距離。津波警報が出ても、「本当にくるのかな?」とほとんどの人が思ったとのことです。バスの写真。園舎の入り口の写真。あのバスが津波にのみこまれたバス。この幼稚園はキリスト教の幼稚園ではないのですが、180人くらいの園児がいる幼稚園で、教会の信者、中曽順子さんが勤めていた幼稚園です。ちょうど降園時間にあたり、180人のうち、約50人が残っていた。その時に地震が起こった。先生たちはまず何をしたかというと、こんなひどい揺れははじめてで、阪神淡路大震災では、ほとんどの人が圧死したということで、とにかく園舎の中にいるのはまずいという判断をした。それで園庭に子供たち51人を移した。そうしたら雨が降ってきた。送迎に出ていた2台のバスが戻ってきたので、園舎に入れないで子供たちを33人と18人に分けてバスに乗せた。先生たちもそこで避難しようとしたが、そこに津波がきた。それでどこまでいったかというと、大きなバスはその壁のところでぶつかった。小さなバスはそこから150メートルくらい流されて、民家でとまったという形になる。先生たちは子供たちを助けるので精一杯、自分も生きるので精一杯。子供たちは、首だけが浮いているような状態。その中でバスの屋根に子供たちをとにかく引き上げて、それでも流されたか流されなかったかも分からないような状況。そして津波が引いて園舎の二階、小さいバスのほうは民家の二階に、子供たちをとにかくなんとか上げた。気温5度くらい。雪も降ってくるくらいの寒さ。とにかく子供たちを温めるのに必死であった。しかし、残念ながら、7人の子供たちは津波に流されて亡くなった。一人の園児と先生は、民家の二階で自衛隊を待っていた。自衛隊は翌朝来たが、そこまでもたなかった。凍死だった。水死が7人、凍死が2人、ということ。そういう現場。
 レジュメに書いたように、キリスト教も各教派が支援活動をさせていただいている。聖公会としては「いっしょに歩こう!プロジェクト」という名称。私はこの名称がつけられた時に、非常に違和感を覚えた。いっしょに歩こう…非常に傲慢な表現というか、上から目線というか、「いっしょに歩いてやるぞ」というか、そういうニュアンスをすごく感じたので、もう少しまともな名称はないのかと思った。報道などでも今、「一緒に生きる」とか「共に生きる」とか「絆」であるとか、ある意味非常に耳触りの良い口当たりの良い表現がいっぱい使われているが、本当にそういうことができるのか?できないんじゃないか?本当にこういった援助などということを私たちにできるのか?手伝いができるのか?宮城県の津波被害を受けたところは、今でもシャッターが閉まった状態。今、地震から9か月ですよね。でも瓦礫が多少撤去されているくらいの状態。さらに現地の人たちが言うには、「実はここは津波の前もシャッター通りだったんだ」と。本当に色々と考えさせられた。私たちはそもそもこれまで、過疎化であるとか、あるいは第一次産業を中心とした街で、若い人たちがなかなか後を継いではくれない、そういう方たちと共に歩んでくることができていたのか?都市部にばかり教会を建てて、そういうキリスト教というか聖公会の在り方というのはどうなんだろうか?疑問がいっぱい出てきたんですね。そういう中で現地のスタッフたちが悩んだ結果、それでも「いっしょに歩こう!プロジェクト」という言葉を敢えて使って、「少しでもいいから、一緒に歩かせてください」と、そういう祈りにも似た思いでこのタイトルを付けたんだという理由を聞いて少し納得できた。レジュメあるいはホームページにも支援活動については掲載しておりますので、是非見ていただければと思います。
 聖公会というのは日本では4万人から5万人くらいの仏教に比べると小さな組織で、その中でも東北は特に少ないエリア。私たちにできることはなにか?それは震災の中で弱っている人、困難な状態にある人がいるけれども、その中でも特に困難の内にある人たち、行政の支援が届かない人たちに、私たちは何かお手伝いさせていただけないだろうかというのが、私たちの主眼。ですから、スローガンにも活動方針にも最初にその言葉が記載されております。
 レジュメの2のところで現状報告と書いていますが、「ふじ幼稚園」というのは今もあのままの状態。外から見ると、とてもきれいで、被災したのかどうか分からない。でも実際行ってみると全然違う。あの建物は取り壊す。とても使える状態ではない、海水をかぶってしまっている。また、隣の教会の写真は宮城県新地町の海岸の写真・・・。この教会も外観は大丈夫そうに見えるが、ステンドグラスも取り外して、どうしましょう、という状態。海岸も本当にそのまま。9か月たった今も。長野に住んでいる私たちには、復興がどんどん進んでいるという錯覚があるんですけれども、実際は防波堤も全部倒れたままの状態。現状としては、復興が進んでいるとはとても言えない状況。福島県の放射能の状況のこともあるが、勿論それも大事なことだが、同時に津波の被害にあった人たちのこと、あの時の状況のことを、もう一回受け止め直す必要があると思う。
 レジュメの3について、折角お寺をお借りして司祭がお話をさせていただくという機会を得たので、どうして聖公会が社会的に弱い立場にある方々の支援を行っているかということについてお話しをしたいと思います。それはとりもなおさず、イエス・キリストの教えそのものだからだということ。ここにイエスの言葉を書いた。「…お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いた時に飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた…わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイによる福音書25章31節~40節)。この教えの後にイエスは、十字架に向かっていく。ですからこれは、最後の晩餐の直前の教えであり、イエスはこのことを最後に弟子たちに教えたということになります。そのイエスの教えを、そのまま私たちに目に見える形で実践したのが、最近ではマザーテレサだと言っていいと思います。インドのカルカッタでなさった働きは皆さんよくご存知だと思いますが、彼女はカトリックのシスターではあるけれども、亡くなった方の宗教を重んじて葬儀なども行った。マザーテレサ自身は、1997年9月に亡くなりましたが、この年のことを私は忘れることができません。この前にダイアナさんが亡くなり、そのあと私の父が他界したので、97年というのは私にとって大きな年でした。マザーテレサは日本にも数回来て、重く深い言葉を残していますが、印象深い彼女の言葉の3つだけをここで紹介します。「私たちはキリストのように貧しくなることを望みます。そのキリストは、貧しい人々の間に生まれ、生き、働くことを選ばれました。」「神は飢えている人、病める人、裸の人、家の無い人の中におられるのです」「最も大切なことは、恵まれない人々の面倒をみることではなく、その人々を愛することです」。長崎の原爆資料館でも、マザーテレサは「原爆は悪の力だ」とはっきりと仰った。インタビュアーが「私たちは何をしたらよいでしょうか?」と尋ねたとき、彼女が言ったのは、「あなたそんなに焦らなくて大丈夫。これから家に帰って家族の人にやさしくしてあげなさい」と仰った。そういうマザーの言葉というのは、イエスの教えそのものだと言っても良いと思います。
 レジュメの4。12月、もうすぐクリスマスですが、大切なことはイエス・キリストが生まれたのは、みんなから避けられた場所、誰も望まない場所、馬小屋であったということ。どの宿屋からも排除され、本当にどうしようもないところで家畜同然に生まれたのがイエスだった、これが実はキリスト教のクリスマスの本当のメッセージです。同時に、最初にそのことを知らされたのは羊飼いだったと言われていますが、羊飼いというのも当時のイスラエルにおいて本当に差別を受けていた人たちで、社会の周辺に追いやられていた人たちです。そういう人たちに最初にクリスマスの知らせが告げられた。このことを忘れてしまっては、このことを横においては、クリスマスを、キリスト教を、本当の意味で理解できないと言えます。
 最後に、レジュメの5ですが、「忘れない」ということが大事。忘れ去られてしまうことが本当に恐ろしいんだと仰る方がおられた。本当にその通りだと思います。記憶する、想起・想像する、豊かにそれを持つ。それは最終的には「祈る」という形をとっていくと思います。新約聖書はギリシャ語で書かれており、人間のことをギリシャ語ではアンスローポスと言うが、これはもともと「祈る存在」という意味。ですから、人間は祈る存在なのであり、それが他の生き物と人間の根本的な違いなのかもしれない。そのあたりを大事にしたいと思います。
 それから、これは難しいかもしれませんが、可能な限り被災地を訪れる、観光でもいいと皆さん仰る、なんでも、私たちはできると思う。けれども実際に、現地に赴いて、子供がここで流されたんだ、ここで亡くなったんだということ、その現場に行くと全く意識が変わる。これは私が強く感じてきたので、できることならば現地を訪れるということができればと思う。
 そして最後に、私たちは身近なところに困難を抱えた人々にいつも思いを寄せながら生きていく、このことが東日本大震災で被害を受けた方々に対する支援に繋がっていくと感じます。以上3つの大きな感想だけ書かせて頂きました。映像の途中でお寺が出てきましたが、あれは曹洞宗のお寺で、新地町で教会のメンバーも含めて10名ぐらいが亡くなり、このお寺で埒浜地区の葬儀が行われましたが、参列者の半分は教会の者で、この立っている方は教会のメンバー。前に座っているのが司祭。そういう宗派、宗教を超えた地域の交わりというのも、今日お寺でお話させていただくというご縁に繋がっているのかなと思い、紹介させて頂きました。

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