秋さん 震災支援の現場から

講師/秋 央文師 福島県 昌建寺 住職

風評被害

 線量の高いところでは、世帯主が数日居ないと「避難してしまったのか?」と言われる。「お隣さん逃げちゃったのか?」と。それが寺の和尚になると「先祖を置いて逃げてしまったのか。」と言われる。しかしそれは責められない、行ってしまう方々も追いつめられている現実があるという部分もある。自分も数日間ボランティアなどで寺をあけるときは、周りの檀家にはボランティアに行ってくるということをあえて伝えて出るようにしている。「あそこの寺の和尚が逃げた」などという風評が立つと大変なことになる。それも「風評被害」。

ガイガーカウンター

 そういうことに気を使いながらも、こういう物(線量計:ガイガーカウンター)を持参して、線量の高いホットスポットなどの場所にもボランティアに行く。今ここの線量はかってみると…、ここは線量低い。安心してください。自分の寺の三分の一。ここでカウンターが反応しているのは、自然放射線量。生きていくうえでは避けられないもの。羨ましい。
 線量計を数個所持している。これは、累積被曝量がわかる線量計。首から下げていると、一か月にどれだけ被曝したかがわかるもの。子供たち、保護者には数値が見えないようになっている。数値が見えるといけないという行政の判断。一か月ほどたつと、それを提出するようになっている。個人的に購入したのはこれだけ。5万円。電力会社に請求したいくらい。
 ガイガーカウンターを所持するというのはどういう意味を持つのか、おわかりにならないと思うが、私も3.11以前は、福島県に原発があるということがどういう意味を持つのかについては、正直無関心というか、鈍感であったが、3.11以降、周囲からせかされるような形で興味をもった。こういうもの(ガイガーカウンター)がお布施としてあがる状況。

 今私が居住しているところは、ちょうど、福島中通り。(配布資料の)地図の南側、白河の関のちょっと上。泉崎村は田園地帯。福島原発は地図の右側、大熊町・双葉町・浪江町あたり。事故が起きた第1原発は双葉町にある。飯館村は南相馬市の左側にある町。全村民避難対象の地域。セシウムのはいった汚染米福島市の行政区の一番右側、川俣町の大波という地域。右側の双葉町から、ちょうど左上の北西側が、風の向きにより運悪く汚染されてしまった。双葉町から北西の飯館村、浪江町、川俣町、伊達町、福島市、というのが線量が高く深刻な問題を抱えている地域。福島県は地形の関係で、北西に昇った放射性物質が、桜前線に乗って飛散し、福島県の中程にある郡山あたりまで深刻な影響を及ぼしている。郡山は経済都市である。そしてその南の白河市も線量が高い。不思議なのは、沿岸部と中通の中間地帯に位置するような、田村市、小野町、平田村、浅川町、石川町では、空間線量では松本と変わりないくらいということ。風向きと地形の関係で、汚染されているホットスポットが斑上に点在している。生活レベルの話となると、ニュースなどでも報道されている、年間累積被曝量(=一年間で人間が健康に害を及ぼさない程度に浴びて良い線量)は、年間一ミリと言われている。ICRP国際放射線防護委員会で出された世界基準の数値、日本の法律の中にも盛り込まれ、世界基準にもなっている。今、私の寺がある福島県中通りの南側でどの程度かというと、年間数値に換算したところ、屋外で0.5をきるくらいになった。室内で妻が除染をした。実際には簡単な大掃除だが、その結果、今は0.2をきるくらいになった。人間は24時間室内に居るわけではなく外出もする。今、自分が被曝している被曝量を計算すると、年間1.8くらい。ICRPで定めた被曝量の2倍くらい。原発で働いている人・レントゲン技師さん・放射線に関する仕事をしている方々は年間5ミリシーベルト。これよりも低い数値ではある。今福島で深刻な問題は、空間線量からくる外部被ばく量だけはなく、食べ物とか、水を通して被曝をしてしまう内部被曝、そちらが、素人レベルではどうしても読めないこと。非常に不安。しかし、それを含めても、レントゲン技師、原発従事者のレベルに達しないくらい、半分くらいの数値という生活環境かなと思う。
 外出時は空間線量を計れるガイガーカウンターを持ち歩いて計測し、「ここは危険だから、ちょっと外へ出るのはやめよう」と判断することにしている。子供たちと外に出る時は、必ず(線量計)を持参して、ホットスポットに近い場所には極力近づかないようにしている、いわゆる「お守り」みたいなもの。
 「家族の被曝」ということを考え、これを持ち歩いて行き先にも気を付けるようにしている。これが福島の現状。
 飯館村は、全村民避難という指示が国からでたから避難しているが、実際、県庁所在地である福島市も深刻。郡山市も深刻な状況である。長野県で言えば、長野市と松本市が深刻な状態ということと同じ。文化都市でもあり県庁所在地でもあり、経済都市でもある福島市と郡山市が結構線量が高くて深刻な状況にあるということ。その地域の住民の約8割が、インターネットや業者さんを通してガイガーカウンターを購入持参していて生活している。お子さんを抱えているご家族の方は、定期的に、週末など、放射線量の低いところに子供を連れて行って多少なりとも被曝を避けている。被曝により遺伝子を損なうというが、被曝を避ける日を設けることにより、定期的に遺伝子を修復をさせようと、子供を持つ親たちは考えている。特にお子さんには遺伝子を修復させる習慣をつけさせ、「延命」というと大げさかもしれないがだが、なるべく被曝による影響を受けさせないような形をとろうと考えている。

不条理な差別・子供たちの未来

 もう一つ、僧侶という立場でお話をさせていただきたいことがある。「報道には出ない福島の現状」を知っていただきたく、あえて話させていただく。
 今、福島が抱えている生活環境以外の問題というのは「避難できる方と避難できない方が居る」ということ。「自分と他人とを比較してしまう」というのは世の常であり人としての性。お寺だってそう。お寺の和尚が真っ先に避難をしていてはなかなかなりたちゆかないという田舎のお寺の実情もある。公務員の方も同じような事情を抱えていると思う。
 置かれた立場ゆえに避難できない方々は、ボランティアとして率先して「除染活動」に従事をしなければならない。少し穿った見方になるが、避難しない人々は「ふるさとのしりぬぐいをしている」とも言えなくもない。言葉が過ぎるかもしれないが、除染という尻拭いを、避難できない立場の方々が「除染という尻拭い」を率先して行い、変な話、綺麗になってから、避難した方々は「綺麗になってから戻ってくる」という風にどうしても見られてしまう。「避難した、しない」ではなくて、本音の部分で「逃げた、逃げない」という言葉に変わってしまう。そうすると、家族の命を守るために、家族の安全を守るために、避難せざるをえなかった人たちが「あそこは逃げてしまったんだ」という話になりかねない恐怖がある。非常に深刻な問題。いわゆる村八分ではないが、この原発事故に由来する問題というのは、いずれ「差別」の問題に変わってしまうことの方が、僧侶の立場としては深刻な問題だと考えている。わかりやすく言えば、たとえば10年後には「就職差別、結婚差別」が起こりうることが危惧される。皆様方のお孫さんなりお子さんが、いい人できたよといって、10年後に連れてきた異性の相手が福島出身の方だったら、みんながみんな素直におめでとうと言えるかどうか。過去の歴史を振り返ると、決して一筋縄ではいかない問題であることがわかる。歴史のをひも解けば、広島・長崎にも通ずる問題。被曝によって遺伝子の損壊というものがあり、それは感染するものではないということは医学的にも証明されている、そういうのがわかりつつも、やはり我々の世界でも、「穢れの問題」と「原発の問題」が安易に絡められてしまうと、たとえば、最近で言えば、HIVキャリアの方に対する差別の問題やハンセン病患者に対する差別の問題などがあった。そういう問題になりかねない構図をはらんでいるということ。これは、私自身、ひとつの課題、宿題として、これから長い時間の活動をしていこうと思っている。
 一つだけ、活動の一つのポイントとしては、正当な怒りの感情ってあると思います。福島県民、あまりにも不条理な現実ゆえ、怒りを露わにすることがあるが、私個人は、怒りの感情をストレートにぶつけてしまうと、うまくいくものもうまくいかないとも思っている。特に原発の問題に関しては、権利の主張に併せ、「説諭の精神をもつ」ことも大切ではないか。この考えに至るには、私なりに心の支えにしている一つのエピソードがあるのですが、アメリカのオバマ大統領が、今の職に就任したときに、父親の話をされた。オバマ大統領の就任は、有色人種としてはじめて大統領になられた方として、非常に話題になった。その父親が、ある酒場に行ったときに、人種差別的な発言を受けたという。その時、怒りの感情をもってその方に接するのではなくて、差別発言をしたその方と一緒に、酒を飲みかわしながら、時には肩を組みながら、その差別発言をした白人に、人種差別というものが歴史的にみてもいかに根拠が無いものかということを教え諭したという。そういうスタンスをもちたい。今、テレビの映像をみても、福島の方々が、正当な権利をもとに声を上げるというものもあるが、同時に、放射線被曝に対する偏見というものがいかに科学的知見に基づかないものであるかということを、私なりに勉強し、自らの活動にあてていきたいと思っている。ですから、直接、その福島とも関係なくとも、長野県にお住いの皆様にも、原発による被爆者への差別がいかに根拠がないものであるかということを知っていただきたい。また、偏見に基づいた想いのもとに差別事象が惹起してしまっているという現実を、今一度、この問題を通して振り返っていただき、そのことが、健全な社会の礎になるのではないかなあと、今回当事者となってあらためて感じたことをお伝えしたい。限られた時間で伝わったかどうか心配はあるが、後半の「カフェ寺ス」でございますので、またお聴きいただけたらと思う。

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