地域における発達障害児の母親支援を目指して
―大学院での学びと支援団体設立―

武山弥生(2010年 3期修了)

1・発達障害のいま 

発達障害は増えているのか?

 日本において発達障害とは、1980年代までは主に知的障害のことを意味していたが、2005年の発達障害支援法が制定されて以降、知的障害を随伴しない自閉症スペクトラムであるアスペルガー症候群、注意欠陥多動性障害(以下ADHDと記述する)、学習障害(以下LDと記述する)を意味するようになった。そして近年の極端な少子化のなか、発達障害をもつ子どもが増加しているといわれ、社会的に注目されている)。はたして本当に、発達障害児は増えているのであろうか。
 専門家といわれる人々の間では、実際に発達障害児が増加しているという説と発達障害の診断が増加しているのであるという説がある。それらの説について、いくつかの図表による数値化された人数の推移の実態と、障害関連の有識者らの意見をもとに考察していきたい。
 まず、図1に示したのは、2005年に厚生労働省が実施した「知的障害児(者)基礎調査」から引用した知的障害児(者)数の推移である。図には、1990年から2005年までの5年ごとの知的障害児(者)数が棒線グラフにより示されている。棒線グラフの斜線の部分は施設への入所児(者)であり、斜線なしは在宅児(者)の数値である。このグラフからみると、この15年間で、施設入所の知的障害児(者)数に大きな変動はないが、在宅の知的障害児(者)数は、約1・48倍に増加している。


知的障害児(者)の年齢分布の推移

 つづいて図2に示したのは、同じ調査結果から知的障害児(者)の年齢分布の推移である。
 図2も図1と同じ調査の調査結果の概要からの引用である。図には、知的障害児(者)の1990年から2005年までの5年ごとの年齢分布の推移が示されている。知的障害児(者)は各年代とも年を追うごとに確実に増加している。
 グラフの下に表記されている2005年の調査における人口千人当たりの人数をみると、割合の高い順に1番目が10歳~19歳台で6・6人、2番目が20~29歳台で5・7人、3番目が0歳~9歳で4・9人、4番目が30歳~39歳で4.8人であった。若年層の割合が高いことが示されている。


特別支援学級の指導を受けている児童数の推移

 つぎに示した表1は、科学省『学校基本調査』から引用した「小学校特別支援学級障害種別児童数と全児童数からの比率の推移の表」である。現在のわが国は、全国的に全児童生徒数は少子化の影響により減少傾向である。しかし、この表によると、特別支援学級の指導を受ける児童数は年々増加傾向にある。特に、知的障害と情緒障害の児童の増加が顕著であるのがみてとれる。


通級による特別支援教育の指導を受けている児童生徒数の推移

 同じく文部科学省『通級による指導実施状況調査』の2005年度から2009年度の「特別支援教育体制整備等状況調査結果について」より引用した「通級による指導を受けている児童生徒数の推移の表」を表2として示す。
 この表によると、小中学校において特別支援教室への通級により指導を受けている児童生徒数は全体として増加の傾向がつづいており、2009年度は前年度対比4、336名増加している。それでは、特別支援教室に通級している児童生徒数の増加とは、通常学級に在籍している児童生徒のなかに発達障害をもつ児童生徒数が増加していることに直結するのであろうか。学校における発達障害支援である特別支援教育とは、発達障害における国の支援制度のなかで唯一、診断の確定がなくても、子どもに教育的ニーズがあれば、特別支援教育が受けられるという施策である。こうしたことから、特別支援教室への通級がすなわちなんらかの診断をもつことにはならないが、教育法における子どもの義務教育の権利に基づき、特別支援教室への通級については、子どもの保護者の承諾が必要である。これらのことから、通級している保護者が子どもの発達障害や学校における特別支援教育の必要性を認識し了解していることになる。
 以上の分析から、日本社会において発達になんらかの特別な支援が必要とみなされる児童生徒数は確かに増加しているということがいえる。


発達障害児の増加の理由

発達障害概念の普及

 発達障害児の増加の原因については、研究者により、さまざまな見解がある。最も一般的な見解は、この10年ほどで発達障害概念が一般にも普及されるようになったということである。筆者が代表を務める支援団体シーズでも地域に対する啓発活動を意識的に行ってきている。シーズが主催した講演会などの来場者アンケートの記述を通して、数年前までは、診断名しか聞いたことがなかった人々が、現在、個人的な格差はあっても、発達障害について何らかの知識や関心をもつようになったたように感じている。しかし、発達障害児の増加は発達障害概念の普及だけでは語れない。

発達障害発見の早期化

 文部科学省は、2002年に実施した「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」の報告として、知的な遅れはないものの学習面や行動面で著しい困難を示す児童生徒が6・3%存在すると発表した。これを受けて2003年には「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」で、「特別支援教育とは、これまでの特殊教育の対象だけでなく、その対象でなかったLD、ADHD、高機能自閉症も含めて障害のある児童生徒に対して一人一人の教育のニーズを把握し、当該児童生徒の持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するために、適切な教育を通じて必要な支援を行うものと言うことができる」と発表があった。これにより、特別支援教育は通常学級に在籍している児童生徒まで拡大した。教育現場は、親子にとって、義務教育とされる9年間、それに高校をプラスするとおおむね12年間という長期間、子どもが生活時間の大半を過ごす場であり、学校での評価が親子に与える影響は多大なものがある。文部科学省による特別支援教育の推進は、発達障害の診断を受ける機会の拡大に大きくかかわっているはずである。
 国からの指導により、発達障害に対する意識はここ数年で大きく向上している。感覚統合などの療育効果のクリティカル・ポイントは8~9歳であるというのが現在の専門家たちに支持されている主流な理論である)。就学を待たずして療育をスタートしている子どもが増えている。

公的な機関だけでは足りない

 発達障害児が急増している現状で、公的な支援サービスは、教育・医療・福祉という専門分野の壁と、地域格差および縦割り行政により制度の壁に阻まれ、行き届いていない。専門家だけでは、発達障害支援サービスのシステムは成り立たないとことは誰の目からみても確かである。
 2011年に長野県は、発達障害支援サービス拡充と専門的な支援技術の強化のために「発達障害支援のあり方検討会」を立ち上げた。分野を越えて関係機関を有機的にマネージメントするサポート・コア・チームを作り、全体のガイドを担うサポート・マネージャーを民間から認定する方針を検討している。そのなかには、発達障害支援の先行研究i) において、その重要性が指摘されている家族支援を目指してペアレント・メンターの養成なども含まれているというが、検討会は6月~9月、3回実施され終了している。人材を育成するという体制は多いに期待できるが、欲しい支援が発達障害児とその家族に届くまでには、まだ時間がかかりそうである。

いまだに消えないジェンダーの壁

 さて、それでは発達障害児と家族が暮らす地域社会はどうだろう。少しずつ支援制度ができ、ノーマライゼーションの考え方が一般化し、人の尊厳の保障の必要性が認識されているにもかかわらず、相変わらず地域社会には、障害者差別がある。
 発達障害への関心が高まるなか、いたましい子ども虐待の事件の発見や報道も増加している。その都度、マスメディアで繰り返し言及されるのは、そうした事件の背景には「家庭における養育環境の問題」や「母子関係の脆弱さ」があるというものである。制度的な支援の拡充が取りこぼす課題の多くは、子育て一般が抱えるジェンダー非対称性と相まって、母親が解決すべきものとして無意識のあいだに、母親により多くの責任を帰する認識が強くなっている。支援の制度化が進行する中で、母親の多くがその課題を引き受けねばならないと自己了解せざるを得ない状態に追いやられていると言ってもよい。

発達障害の家族性

 また発達障害の原因は、糖尿病のように多因子であるといわれており、明確な遺伝性はないといわれている。しかしその一方で、家族間で近似な障害特性をもつことが多いともいわれており、それを家族性があるというのだそうだ。先行研究からも私の経験からも、子どもの診療に同行する父母に発達障害の特性を持つことは多く、家族間に複数の発達障害児者が存在することは珍しいことではない。専門的な支援や配慮は、子どもだけでなく、家族ぐるみで必要である。先に述べたように地域文化のなかで子育ての責任をになっているのは母親である。母親の心身の健康は、子どもの育ちに深く影響を与える。発達障害児をかかえる家族への支援とは、まず母親支援からスタートしなければならない。そして、もし、発達に特性をもつ母親の場合は、その特性にあわせたアプローチが欠かせない。母親自身も発達障害がある場合、困難はつぎのように立ち現れる。

母親が発達障害である場合の困難

 家事や育児の大半の責任をもたされている母親自身に発達障害があると、その混乱は何倍にも増幅される。それは、家事や育児が、24時間、365日繰り返しであるために、ケア・サービスの起点と終点の判断がつきにくいからであり、同時に実施内容は限りなく応用を要求され、また時には、安全のために相手のニーズを瞬時に察知し、対応をしなくてはならないからである。つまり、ケア・サービスが、発達障害者にとっては、一番苦手とされるものを多く含むためである。さらに、ケアをする家族が発達障害をもつと、関係はもっと複雑になり、困難が倍増されつづけるのである。発達障害をもつ母親には、初婚年齢、初産年齢、多子である事例が多いことや、離婚率や再婚率の高さが指摘れている。

診断の必要性を考える

 発達障害のほとんどの特性たとえば「こだわり」や「多動」などは、健常といわれる子ども達の中にもみられる行動である。そして、その行動が色濃く、継続して出現すると発達障害の特性といわれる症状となる。ある子どもの発達に、障害のさまざまな特性がみられた時、それを「障害」と認識すべきか否かは、地域社会や学校、あるいは家庭の中では判断しにくい。そして、その症候が、子どもの発育過程で消滅してしまうか一時的な状態なのかも判断しにくい。判断に迷いながら、障害の発見が遅れてしまうことは多い。障害の診断至らず、子どもの困難を“子ども自身の性格”や、母親の子育ての失敗”のせいにすることは危険である。子どもの人格や親との関係、社会との関係をゆがめてしまうことが多い。発達障害の二次障害としての不登校やひきこもり、強迫症状、リストカット、非行などが起きやすいことが広く認められている。2003年に長崎で起きた4歳児誘拐殺人事件の判決で裁判長は、判決文において当時中学2年生であった犯人の少年の発達障害について、親ふくめ学校の教師など、周囲の大人が気づかずに放置していたことの責任も重いと述べている。
 診断を受けることで、必要な支援がわかる。子どもの困り感に気づかず、困難を抱えた生活をしいていくことがないようにすることは社会の責任でもある。発達障害児の成長には、親や周囲の社会からの障害受容と適切な対応が必須である。そのためには、まず正確な診断が必要である。

2 母親支援と母子ユニット

アンケート調査

 発達障害児のよりよい発達のための母親支援を構築するためには、まず、母親の困難を把握し、困難からニーズや解決策を明らかにすることが必要である。2006年に放送大学の卒業研究のために発達障害児をもつ母親らに実施した「軽度発達障害児を持つ母親の意識調査」と題するアンケート調査から因子分析からの母の困難を検証したい。

調査内容と分析方法

 調査内容は、母親の発達障害児に対する母親意識と療育に関する項目。母親意識調査の項目については、育児に対する幸福度、意欲、疲労感、気力の低下、イライラ状態、育児不安など22項目を選出し5件法による評定で、因子分析をおこなった。その他、母子の年齢、配偶者の有無、診断を受けた動機、母親他、父親、祖父母の障害受容度、母親の障害に対する自責度、夫婦関係や家族関係、母子と学校、地域など周囲の人々との関係、母親の精神健康状態、子どもの療育に伴う不安、相談先の有無などを5件法による評定で回答を求め、それぞれの相関性について調査した。また、「母親の自責感」、「父親や祖父母、周囲の人々から母親に向けられた言動や行動で傷ついたこと」、「子どもの障害について母親が困難と思うこと」、「欲しいと思うサポート」については具体的な内容を自由記述で求めた。

分析結果

 アンケートの回収の結果、回収は103名。有効回答は項目により無記入の部分などあったが、概ね100名の統計を収集した。自由記述は約8割が回答してあった。
 数量的な分析からは、発達障害児の母親の困難の因子は3つ検出された。筆者は、第一因子を、自分のやりたいことがやれない、なんとなくイライラする、子どものことをどうしてよいかわからないなど10項目から成り立つことから「疲弊・焦燥因子」と名付けた。第二因子は、子どもはいとおしい、子どもを生んでよかった、育児は有意義な仕事であるなど7項目から成り立つことから「受容・肯定因子」と名付けた。第三因子は、自分の生きがいは子どもだけではない、母親も育児以外の楽しみや趣味をもちたい、毎日はりつめた緊張感があるなど3項目から成り立っており「育児外価値嗜好性因子」と名付けた。発達障害児の母親は、疲れ、苛立ちながらも、わが子をいとおしいと思い、子育ての価値を信じ生活している。そして、そのまた一方では、自分自身を発揮し、人生に楽しみを持ちたいと考えている。一般の母親と異なり子育てによる満足感が低いため、子どもを自己愛の一部として取り込めない所以かもしれない。

母子ユニットモデルの構築

 アンケート調査の分析をベースに2010年に発達障害児の母親支援モデルの構築のために、再度、発達障害児の母親の困難の事例をグランデッド・セオリー・アプローチ(以下GTA)に基づく手法で研究した。図3は母親支援モデルを構築するための前提として、GTAで抽出した母親の困難カテゴリーの概念図である。
 この支援モデル構築においては、母子を一つの単位として捉え、母子間の力動を活用しながら双方向に同時に支援する<母子ユニット>という用語を医療分野より思いついた。
 6つの事例からGTAにより抽出されたカテゴリーは<a自責感の度合い>、<b自己尊重感の低下>、<c父親のサポート>、<dシーズの場の力>、<e障害受容のゆれ>、<f孤独感の度合い>、<g終わりのない苦悩への耐性>、<h母子関係の疲弊>の8つである。概念図もこの8つのカテゴリーを用い、さらに母親の困難を明確にするために、発達障害児を表す<子>という補助線を入れて構成されている。
 図の解説の解説に入る前に、この概念図の前提となる母親のメンタリティについての解説をしてから図の説明をする。


母親のメンタリティ

 母親のメンタリティは、子どもとの関係を中心に構成されている。なぜなら、子どもを持たない母親というものはありえず、もともと母親という存在それ自体が、子どもを持つ者としての社会的存在だからである。子どもを産んだその瞬間から女性は「母親として自他ともに意識される。そして、「どんな母親であるあり、なおかつ、どんな子どもを持っているのか」ということに、母親のメンタリティは強く影響される。またさらに、母親と子どもが、どんな母子関係を持っているのかということが、ジェンダーバイアスにより、つぎに述べる大きなパラダイムを構成している。
 「母親は、子どもにとってよい作用をするものであり、それが母親の存在意義とである。そして、母子臨床の世代間伝達により、子どもによい作用をおよぼす、よい母親から、社会にとってよい子どもが育つ」。
 社会は「よい母親には、よい子ども」という幻想をもっていると。こうしたパラダイムにより母親にとって、わが子に障害があることを受容することが、母親としてのアイデンティティに関わる困難の一つとなるのである。
 人の心の健康が保たれる条件として、社会的適応は大前提である。適応するためには、適応先である社会から承認を得られることが重要となる。母親のメンタルを健康に保つためには、自分の子どもとの関係が良好であり、なおかつ母親が子どもをありのままに受容できているという条件が欠かせない条件になる。以上、ここで明らかにした母親のメンタリティは母子関係と、子どもの存在の受容であるということを前提にして、図の解説に入る。

概念図―① 母親のメンタルの構成

 まず発達障害児をもつ母親に内在するメンタルの構成からみていこう。概念図の右中央に四角の枠で<母のメンタル>という領域を配置した。
 その枠内に4つの円で、<a自責感の度合い>、<b自己尊重感の低下>と<f孤独感の度合い>、<g終わりのない苦悩への耐性>を配置した。円は、それぞれ、その相関を示す相手と相互矢印で結び、カップリングにして配置されている。
 まず、上のカップリング<a自責感の度合い>、<b自己尊重感の低下>の相関関係について述べる。
 母親に内在する<a自責感の度合い>は、<b自己尊重感の低下>と相関しており、母親の<a自責感の度合い>が、強くなると、同時に、<b自己尊重感の低下>の度合いも強くなる。その逆に、<a自責感の度合い>が弱まれば、<b自己尊重感の低下>の度合いも弱くなる。
 つぎに、<a自責感の度合い>、<b自己尊重感の低下>の下に配置した<f孤独感の度合い>、<g終わりのない苦悩への耐性>のカップリングの相関関係について述べよう。
 <f孤独感の度合い>と、<g終わりのない苦悩への耐性>は相関しており、<f孤独感の度合い>が高くなると同時に、<g終わりのない苦悩への耐性>は低くなる。逆に、<f孤独感の度合い>が低くなれば、<g終わりのない苦悩への耐性>は高くなる。
 以上に述べた相関関係から、母親のメンタルの健康に保つためには、<a自責感の度合い>を弱め、<b自己尊重感の低下>を改善し、さらに<f孤独感の度合い>を低めて、<g終わりのない苦悩への耐性>を補強するサポートが有効であることが明らかになる。

概念図―② 母親と子どもの関係

 つぎに、概念図の<母のメンタル>領域の左横に配置した<子:障害児>と母親の関係を述べる。概念図の説明に入る前に前提としての母親のメンタリティで述べたように、母子関係の相関は強く、母親から子どもの存在を認知するという行為によりつながっている。
 概念図では、<母のメンタル>から<子ども>に向けた矢印で、この<認知の行為>の存在と方向性を示した。母子関係が良好である時には<認知の行為>の矢印は、太くしっかり母親から子どもへと働きかける。しかし、何らかの理由により<母子関係が疲弊>してくると、この<認知の行為>の矢印は、この図の太い矢印の上に点線で示したように、細く、まばらになり、その勢いを失っていくのである。
 また、母親が、子どもの発達障害を「受容するということは、<認知する行為>の延長上にあり、<子ども>を認知するのと一緒に“発達障害というリスク”をふくめて認知することである。<認知する行為>の下に二重線で発達障害の<受容>という状態を示した。<母のメンタル>の消耗は、<母子関係の疲弊>を招き、<認知の行為>を弱体化することが明らかになった。それは、逆の見方をすれば、子どもが発達障害を抱え、不安要素を内在していたとしても、<母のメンタル>がしっかりと機能いれば、子どもを認知しつづけることが可能であるといえる。母親が、<子ども:障害児>を真に<受容>するためには、<母のメンタル>を強化するサポートがなければならない。発達障害児とその母親をサポートしていくことは、<母子関係のサポート>と等しい。<母子関係のサポート>の役割を担うのは、通常は子どもの父親の役割である。のが有無が一つのキーポイントになると予測される。

概念図―③ 父親のサポートと子ども

 と<子ども:障害児>の関係を述べる。。図の下側に、を配置してある。は、母子双方に作用するものであるが、障害児のいる家庭としては、母親より、<子ども:障害児>により厚く作用していくのが理想だといえる。発達障害児は定型発達児よりケアの質量ともに大きい。日常生活で親が子どもにかける時間は多くなり、その期間も長い。が<母子関係のサポート>として機能している場合は、発達障害児の家族関機能は安定している。
 しかし、図の一番下部に示したような具合に機能が低下し、薄くなってくると母親の負担が増え、<母子関係が疲弊>の可能性が高まる。母子家庭や仮に、父親が居ても、家庭内における父親不在の状態の場合はこういう図式になる。このような場合に、母子関係を支えるために、家族の外にサポートを求める必要が生じてくる。の補完となる代替機能を求める行為といえる。シーズに母子がサポートを求める理由の一つに、こうしたの補完があるのではないかと考察する。

概念図―④ シーズの支援と家族

 図の上部にシーズの支援のモデルである≪母子ユニット≫での支援を枠で示した。シーズにおける≪母子ユニット≫での支援は、従来の発達障害児に支援と異なり、子どもだけなく、母親に向け、<母のメンタル>を強化する支援を行うのが特徴である。<母のメンタル>の強化はにおいて実施される。その作用によりを小さくし、<母のメンタル>の安定を強化する。また一方、療育的なワークやカウンセリングなど子どもに向けて実施することで、障害による不適応を軽減していく働きかけを行う。母子を≪母子ユニット≫で支援することで、を未然に防止していくことが目的である。しかし、シーズにおける≪母子ユニット≫での支援の目的は、の補完となる代替機能を最終目的とはしていない。
 人にはレジリエンスという自己回復力が内在している。は、このレジリエンスに働きかけ、母子それぞれが、自己尊重感をもとにした自己機能を向上させ、自分の人生の主体となることを目的とする。
 母子が、に依存している状態では、自責感から解放され、自己尊重感を回復することは出来ない。発達障害とともに生きることは、終わりのない苦悩と障害受容のゆれを抱えながら生きることである。そうした困難を抱える家族への支援の第一歩は、まずの軽減にある。

母親の自己尊重感と主体性

 発達障害児の母親は、そのほとんどが、自己尊重感の低下を訴える。マズローは、欲求段階説において、人間の基本的欲求を5段階のピラミッドで表現したi)。人間の基本的欲求ピラミッドの底辺から①生理的欲求、②安全の欲求、③所属と愛の欲求④承認の欲求(esteem)、⑤自己実現の欲求の5段階に分類し、①~④までに動機づけられたものは欠乏欲求とされ、これがある程度満たさないと一番上の階層である⑤自己実現欲求に動機づけられる成長欲求は出現しない。自己尊重感は④承認の欲求であり、欠乏欲求に類する。自己尊重感の充足がないかぎり、シーズが目指す主体的な家族は実現しないだろう。
 シーズ会員の中にも、シーズの場を自分が発揮できる場所であると考えている母親がいる。その母親は、承認の欲求がある程度満たされて、次の次元である自己実現の欲求が芽生えている状態であるといえる。母親が、自尊心を満たし、自己発揮できるということは、主体性をもつということである。母親が支援を要求するという立場で終わることは、支援者に依存して終わることである。母親の自己尊重感を高めるためのステップとしても、母親の主体性の向上を支援するというシステムが必要である。
 母親は、社会構造によって、子どもより自分を優先することに罪悪感をもつという特性を身につけている。母親が子どもの障害に自責感を強くもつことも、この原理が強く働いている。だから、母親支援は、子どもの問題解決を含まなければシステムとして機能しないのだ。母親支援は、母子を一体にした≪母子ユニット≫という構造により支援の力を「母」「子」「母子」という3つに働きかけるものでなくてはならない。

3 シーズの理念と活動

 団体名「シーズ」は英語でSeeds。種の複数形。地域社会に発達障害理解の種を撒き、芽を育て様々な資源を結びつけていくこと、種が育つ豊かな土壌を作ることが私たちシーズの理念である。会員は発達障害児を持つ家族、当事者と発達障害支援の支援、研究を目指す者で構成されている。設立は2008年5月である。会員は諏訪地域を中心に伊那、松本などの会員もいる。事務所の所在地は長野県諏訪郡下諏訪町である。

母子ユニットによる実践

 シーズも設立当初は、もっぱら母親の交流会、勉強会、相談に労を尽くしていた。その後、母親らのニーズをヒントに、母親のレスパイトを行いながら、同時に子どもらに特別支援学習メニューや療育的ワークを用意するという現状のスタイルにたどりついた。現在のシーズは、代表理事である私、武山、同じく理事であり夫である大木斉が常駐スタッフとして自宅の一部をシーズの活動スペースとして運営をしている。また諏訪養護学校の教員であり特別支援教育スーパー・バイザーの金井なおみ教諭、同校教諭である土田泰教諭、社会福祉士である中村修氏に理事とスーパーバイズをお願いしている。会員数38家族。会員は家族単位でカウントし年会費は一家族6千円である。
 定例活動としては、毎週木曜日の午前中を保護者の交流会、午後を当事者の交流会としている。臨床美術士の篠原佳代先生を講師とした臨床美術活動は毎月1回、土田先生を講師としたプラモデルづくりによるソーシャル・スキル・トレーニング、金井なおみ先生を講師としたペアレント・トレーニングやビジョン・トレーニングを年数回シリーズで行っている。平日は、学校の授業の補足として子どもらのニーズに合わせ、英・国・数を中心とした学習支援の他、身体感覚を養うための卓球や運動、散歩、外遊びのメニュー、社会適応を目当てとするお買い物活動、図書館活動、などを大木理事と私が担当している。地域からボランティアに来てくれる方も数名いる。
 個別相談やカウンセリング、検査は、ニーズに合わせ、金井先生、土田先生、武山が担当している。相談をお聞きして必要に応じてその後の学習支援、トレーニングへの参加を促す。学校はじめ関係機関を保護者に招集してもらい支援会議を企画する。また、関係機関先に保護者に同行し、記録、通訳として同行する同行支援はシーズのオリジナルな活動であり、会員のみならず関係機関先でも評判がよい。
 シーズでは、立ち上げから、発達障害にまつわる講演会、勉強会、講習会を現在までに16回開催してきた。レクリエーションとしてカラオケやコスプレ会をやることもある。また、地域への啓発活動として地域イベントへも積極的に参加している。運営費の主な財源は、フォーラムは自費+県や民間財団からの支援金、会の運営費は会員から200円~500円程度の参加費+福祉サービスのタイムケア(1時間530円~800円)を当てている。経営状態は常に厳しく、運営システムの構築が今後の一番の課題である。

4 私の発達障害ヒストリー

 忘れもしない2001年秋、長野県ではまだ数少ない小児精神科の第一人者のおひとりである原田謙先生を親の会の勉強会に講師としてお招きした。勉強会の会場は、原田先生のご厚意により松本市にある信州大学医学部付属病院の会議室をお借りした。発達障害についての勉強会は、いまでこそ毎月のようにあちらこちらで開催されているが、当時はまだ珍しく、長野県内の各地から20名ほどの参加者が参加した。その頃、県下で発達障害の診断が出来る病院は信大付属病院と安曇野にあるこども病院くらいであるといわれていた。診断をとっている子どもの数もそう多くはなく、診断をとってからまだ間もない事例がほとんどであった。私の子どもらも診断をとったばかりで、学校の担任に子どもの障害の特徴を説明するのに、本屋にも並んでいない発達障害についての本を取り寄せて渡すほかないような状況であった。
 原田先生から発達障害の発達特性や育児についての留意点について、一通りのお話があった後、質疑応答の時間が用意されていた。その時、私の印象に深く残った一組の若いご夫婦がいた。
 「結局、発達障害とは治らないものであるということですか?」とご主人が原田先生に質問した。
 「そうですね。病気とはちがい生まれ持った特性ですから、治療をして治癒することはありません」
 「うちの子どもは、まだ三歳なのです。なのに、もう、子どもの人生はどうにもならないということですか?」
 奥さんが辛そうに言葉を重ねた。会場の参加者は、思わず視線をおとした。音のないため息が聞こえるようであった。発達障害は、障害だから親の躾のせいではない。そう盛んに語られ始めた頃である。
 「子どもが多動なのは、自分の躾が悪いせいではない。私の愛情不足のせいで、こうなったと言われてきたので、発達障害だと診断がついた時、ほっとしました」
 それまで私は、親の会で、何人もの母親がそう語るのを、聞いてきた。そして、自分自身も、その母親らと同じように、発達障害というラベルに救われたと感じていた。しかし、子どもの発達障害は、病気ではないから治ることはない。障害児である子どもは不幸だ。そう考える人もいる。発達障害という診断に辿りつくまで、子どもの多動や指示の通りの悪さを母親の躾のせいだと山のように非難されてきた私たちは、発達障害であるというラベルを手にすることで、意味もなく安心していたのではないか?私は、発達障害という概念の普及にやっきになって、診断をもつ子どもがどう幸せに育つかという本質的な問題を忘れていたではないか?と再認識した勉強会であった。

自ら診断を求める

 「先生、長野県では、大人の発達障害の診断が受けられる病院はないと聞きましたが、本当ですか?」勉強会が終わり、廊下の通路を原田先生と歩きながら、私はそう問いかけた。
 「そうですね。ありませんね」
 「でも、発達障害は治らないのだから、未診断の大人も存在しますよね?診断をとりたい人は困りますよね?」
 「それはそうです。ちなみに、どなたか診断をとりたい人がいるのですか?」あまりにしつこく私が聞いたように思えたのか、原田先生はそう私に問い返した。
 「先生、私が診断をとりたいと考えているのですが」
 「そうですか。武山さんですか。いいですよ、だったら僕が診断しますので、次のお子さんの受診の時に、お母さんのカルテも受け付けて作ってもらって持ってきてください」原田先生は事も無げにそう言った。
 「ありがとうございます」お礼を述べながら、もっと、先生はびっくりするかもしれないと思ったのに、こんなにあっさり受診のお願いを受けてくれるなんて、ずっと、私のことを黒だと思ってたんだろうなあ。心の中で私は、そうつぶやいた。
 受診の結果、私についた診断名はADHDであった。その後、2011年に追加検査を行い、ADHDにアスペルガーがトッピングされるが、発達障害の研究フィールドは急進的な勢いで変化している。2001年当時は、子どもらの診断名もADHDオンリーが多かった。私自身、自分の子どもの療育の必要性から発達障害というものの存在を知り、発達特性を学ぶうちに、子どもと同じように自分の中にも、障害特性が色濃く存在するのを子どもの診断と同時に感じていた。自閉症はスペクトラムであるという概念でとらえられているため、特有だといわれる、特性(例えば、こだわりや、感覚過敏など)は、障害のない人のなかにも、いくばくかは存在する。スペクトラムのどこから障害という診断がつくのかは、いまも議論の余地を残しているし、ボーダーラインやグレーゾーンといわれる人々も大勢いる。
 「どうして診断を取りたいのですか?」私が、診断をお願いした後、原田先生からそう問われた。
 「私の人生が人にとってよいかどうかも分かりませんが、発達障害があっても、仕事をしたり、育児をしたり、楽しく人生が過ごせることを、うちの子や、同じ障害をもつ子どもの親御さんにわかって欲しいと思ったんですけど」
 2001年、39歳になっていた私は、すでに結婚、離婚、再婚、離婚、転職その他諸々、その詳細は今回は本題から逸れるので割愛するが、かなり傷だらけであった。でも、生まれてきたのだから、なにか社会に役立ちたいと考えていた。こんなところも、後から考えるとアスペっぽい。
 「まあ、自己理解を深めるってことですかね」原田ドクターは言った。

診断をとってよかったこと

 診断をとった後、それまでの霧が晴れたような爽快な時期の後、かなり落ち込んだ時期もあった。これは、私に限らず不治の病を告知された後の患者とか、愛する人を失った人々の多くが体験する受容過程の反応であるようだ。
 しかし、診断をとって一番よかったことは、自分の弱みと強みを意識することで、多くの混乱から身を遠ざけることや、混乱の度合いを少なくすることに役立っている。私の場合、転動性の高さ、いわゆる気が散りやすいという特徴が強い。これが弱みとして現れる場合を説明する。たとえば、家の掃除である。掃除をし始めて、はたきがないことに気づく、はたきを取りにいった先で、棚の本の配置が気になり、はたきをかけようとしていたことも忘れ、しばし本を整理する。そして、さらに、本の整理の途中で視界に入ったものを手に取り広げ出す、掃除は一向にはかどらず、一時的に部屋のものが広がり放題になってしまう。結局は、全部自分で片付けるのだが、普通の人のように段取りよく出来ない。しかし、この特徴が強みとして生かせると、みなで作業などを一緒にする時に、人が気がつかないようなことに一番に気がつき、動くので、よく働く人といわれ褒められることなどもある。
 国際企業家でありながらADHDに関する著書を数多く上梓しているトム・ハンターは、著書の中で、ADHDをハンターにたとえADHDは視覚に導かれ、あらゆることを瞬間的に捉えることをビジネスの才能の一つとして高く評価しており、ADHDを理解可能な弱点と長所の組み合わせとみなし理論展開して説いている。動くものや変化にすぐ飛びつく、反応の早さも使い方によって利点となるのだ。

ADHD

 ここで、発達障害について、より理解を深めていただけるよう、私の診断のベースとなるADHDの紹介をしたい。ADHDは、1940年代後半に子どもにみられる学習の問題や落ち着きのなさがアメリカで注目されはじめ、日本では1960年代から関心をもたれるようになったというi。1947年にストラウスが脳損傷児と呼称し、1957年にパサマニックにより微細脳損傷(MBD)という用語が生み出され、その後、損傷という言葉が適切でないということから、微細脳機能障害という名称で語られるようになった。この診断名には、脳の器質障害からの落ち着きのなさというような行動障害と運動や認知のつまずきである学習困難が合わせて含まれていた。1968年のアメリカ精神医学会による診断基準第二版(DSM-Ⅱ)からADHDとLDが分けて診断されるようになった。しかし、ADHDとLDは近隣の障害であるため、並存率が高いといわれている。
 ADHDの特徴は、多動性・衝動性・不注意の3つであるといわれている。すべての特徴を持つ人もいれば、3つのうちの一部を濃くもっているタイプの人もいる。
 障害の原因は、脳の前頭葉から尾状核、淡蒼球までの神経回路の問題だとされている。脳内の細胞「シナプス」の間にあるドーパミンなどの神経伝達物質の濃度が低く、伝達の効率が悪いため、不注意や多動の原因になっていると考えられている。シナプスには神経伝達物質を放出する「前細胞」と受容する「後細胞」があるが、前細胞にも神経伝達物質を回収する機能「トランスポーター」があり、ADHDの子どもに処方されている薬の薬塩酸メチルフェニデードは、そのトランスポーターにふたをする役割を果たす。
 ADHDは脳が活性化し過ぎて多動になると思っている人がいるが、正反対といってよい。
 ADHDは実行機能障害である。知識としてのメモリーをある程度、頭脳の中に持っていても、いざ、取りだして使う時に、混乱をきたし機能に支障がおこる。引き出しにいっぱいに物がつまっているけれど、その引き出しが整理されておらず、探し物がなかなか見つからないという状態である。必然的に、優先に順位をつけることも苦手である。パソコンでいうファンクション障害。ワーキングメモリー(短期記憶)が乏しいと不注意として表れる。ワーキングメモリーの少なさから、目の前から情報が消えると、すぐに忘れてしまう。さらに刺激を脳にインプットする時に、選択する機能が弱く、目に入るもの、耳に聞こえるものすべてを取り込んでしまうこともある。衝動の制御が弱いと、それらの刺激にすぐ反応して動いてしまい多動になる。
 私もこの特性を多分に持っており、聞き漏らしが多い。クラスでの一斉講義(講師1対学生が多数の形式)などでは、指示を聞き漏らし、トラブルの種になることもある。信大大学院の在学中も、ある時、フィールド・ワークの講義場所を聞き漏らし、いつもの講義室へ行ったら誰もおらず、大慌てでクラスメイトに連絡して、そこから1時間近くかかり、講義も終盤になる頃、やっとその場に辿りついたということがあった。さらに残念なことに、私は、時間の感覚が正確にとらえることがオートマチックに出来ないことが多い。まことに恥ずかしながら、私は遅刻の名人である。時間感覚のなさはいまだに課題。とりあえず、自分が見積もった時間に15分プラスして考えるという戦略により、以前よりは随分と改善している。また、人の脳の処理には、物事をイメージでとらえ並行して処理していく同時処理と順をおって処理していく継次処理の二つがあるといわれている。私は、検査結果でみると同時処理が優勢なタイプで幸い作業の処理のスピードが速いタイプであるといわれている。混乱しながら、なんとか処理スピードで弱みをおぎなっているらしい。

アスペルガー症候群

 つぎに、私にトッピングされているアスペルガー症候群の紹介をしよう。アスペルガー症候群は、1944年にオーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーの論文に寄って報告され、1981年のイギリスの精神科医ローナ・ウィングの論文により大きな反響を呼び、世に広く知られるようになった。ウィングによる分類によると、アスペルガー症候群の特性は3つに大別され、この分類を三つ組の特性といわれている。ウィングの三つ組とは、①社会的関係をもつことの障害、②コミュニケーションの障害、③想像力と創造性の障害である。
 ①は人とのかかわりの質的問題をいう。アスペの人は交流の仕方が一方的であったり、、紋切り型な対人スキルしか出来なかったり、場の雰囲気や相手の気持ちを察知が下手だと言われている。
 ②は、言葉の使い方や理解がずれる、思考過程すべて声に出し独り言を言う、状況による言葉の使い分けができない、文脈が読めず指示名詞(これ・それ・あれ・どこ・ここ・そこ・あそこ・どこ、など)が何を指すかわからない、接続詞(また・しかし・けれども・だから・なお、など)が使いこなせないなど、言葉をしゃべることができるのに、言葉を用いたコミュニケーションに質的問題があること。
 ③は日常的な想像力をさし、芸術的な想像性や感性をさすのではない。生活の場面で臨機応変に状況把握をする力や状況や立場により見方を変える力、気持ちを切り替える力、曖昧さや予想外の出来事に耐える力、待つ力、自分の能力に見合った時間的見通しを立てる力、妥協する力、などの障害であり、この特性が、こだわりの原因となる強迫行為、強迫観念などにもかかわってくるといわれている。
 現在、日本における診断名としては、アスペルガー症候群は、言葉の遅れのない自閉症として広汎性発達障害とほぼ同義的に使用されているが、2013年前後に出版される予定のDSM-VおよびICD-10では、アスペルガー症候群という呼称が消え、自閉症スペクトラムという概念で統一されることが決定されている。
 自閉症スペクトラムの人は、視覚優位である特質がある人が多い。当事者として有名なテンプル・グランディンは、著書のなかで、自閉症スペクトラムの人々は視覚思考が得意であると述べ、自らを絵で考えるタイプであると表現している。実は、私もおそらく能力はちがえども彼女と同じく絵で思考するタイプである。絵で思考するタイプは、言葉を習得する前の幼い頃(2歳前くらい)の記憶をもっていたりする。私のなかの記憶は写真のように鮮明で時を経てもあまり薄れないものもある。子どもの頃の同級生に、なんで昔のことをいつまでも細かく覚えていられるのかと尋ねられ、記憶の鮮度や形が人により違うことを学んだ。また、絵での思考は速いので、私は直観型といわれてきた。しかし、直観的に出たアイディアを文字にして人に伝えるのは一苦労である。

自己コントロール力

 子どものADHDには、多動や転動性に対する処方薬としてかつてはリタリン、現在はコンサータやストラテラがある。薬の効きは、百人中百人に100%効くわけではなく、有効率は七割くらいであるといわれている。また、日本の制度上、18歳以上の大人には処方されないため、ADHDをもつ人は、いずれは自分をモニタリングして、コントロールしていく手法を身につけなければならない。私も原田先生のおかげで、自己理解を深め、対策を練ることで、社会適応がよくなってきているのだ。それも、診断をとって一足飛びでよくなったのではなく、この10年あまり失敗を重ね、重ねここまできたというところである。
 ある時、数年前から活動をお手伝いいただいている養護学校の先生が、
 「武山さんは、出会った頃はもっと多動でほんとに目についたけれども、最近はちょっと見では、わからなくなりましたね」とおっしゃった。ずいぶん普通の人のふるまいが板についてきたなあと思ったが、嬉しかったり、哀しかったり、興奮するとボロがでる。それでも、色々な方の相談や、支援に携われているのは、アスペルガーであるがゆえの社交術の鍛錬の賜物であるかもしれない。
 ごく最近のことだが、
 「貴方は、子どもの頃から、体験的に自分は人の気持ちを推し量るのが苦手であることに気づき、常に人の表情や言葉からその人の感情を推測することをしてきたでしょう。」とある発達障害の専門医から言われたのだ。もっとも、早とちりや失言も数多く、正直なだけがとりえと言われる場面もある。

子どもの頃

 私は、中学生くらいまでは、多動で同年代の子とちがった物に興味をもち、思うままにしゃべり、行動するように見える奇妙な子どもだった。保育園も小学校も脱走したことがある。小学校から高校までは、よく授業に耐えきれず保健室へ通いつめていたし、学校も定期的に休んだ。大勢の人がいると刺激が強くて本当に熱が出たり、頭痛がした。気分がすぐれない時は、いつも常に持ち歩いている本の中に逃げ込んだ。小学校では同性の友人は一人も出来なかった。大人になって思い返すと、おそらく私は、村八分になっていた。ただ、人の悪意に気がつかないことも多く、母にお人よしだと嘆かれたり、叱られたりしていた。でも、いつも私が被害者だったのでもない。アスペ特有の思った通りに言葉を口に出すこと、行動することで、周りが本当に腹を立てたり、困惑したことも多かったろう。
 小学4年生になると音楽が選科の先生に替わる。私は、初老の大野先生がお気に入りだった。ピアノが上手で響きのよい低い声でしゃべる。上背があり、いつも茶色のジャケットを着ていた。頭の毛は少したそがれていて、お腹も少し出ていたが、そこが何だかよけいに芸術家っぽいとも思っていた。音楽室も好きだった。音響効果のために全面に細かい丸い穴のあいた壁が素敵だ。そして音楽の時間に初めて聞いたベートーヴェン、ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27の2「月光」にはまった。大野先生に、レコードが何処で買えるのかと聞きにいったら、シングルサイズの「月光」のレコードをくれた。しばらくの間、家で私はずっとずっとずっとそればかりを、何度も繰り返し聴いた。そればかりか、私は楽器へ行き、「月光」の曲のピースの譜面を購入し、学校の休み時間に大野先生に音楽室のピアノを弾かせて欲しいとお願いし、なんとか自分で弾けないかと格闘した。しかし、ピアノも習っていない私にいきなり弾ける理由もない。そこで私は、クラスで一番おとなしくてピアノが弾けるRちゃんにいきなりお願いした。
 「Rちゃん、私どうしてもベートーヴェンの月光が弾きたいの。お願い!」
 休み時間にRちゃんの手をひっぱるようにして何度か音楽室へ通った。そして、
 「Rちゃんは、左手の伴奏をお願い。私は右手の旋律弾くから!」と命令するように言い渡すのだった。
 大人になって診断をとってから、ふとこの思い出を振り返り、
 「あの時の私ってRちゃんにとったら、なんて迷惑な子だろうか」とため息をついた。私は時に、音楽室のどことなく甘くていい匂いまで思い出すが、Rちゃんは、どうだろうか。

大人になって

 大人になってからも、子どもの頃、みんなに無視された時と同じ漢字の扱いを受けることがある。そして、診断を持つ人の中には、私にように感じる人もわりといる。よく自閉症スペクトラムの人は感情が鈍いと勘違いしている人もいるが、感情表出の仕方がちがうだけで、感情がないわけでも、鈍いわけでもない。子どもの頃はともかく経験を積めば、無視をされたり、意地悪をされているのは分かるようになる。ただ、悪意をもって接する相手に、どう接してよいかわからなくなってしまうことも多い。学校で意地悪は悪いことだと教えられたのに、なぜ、平気でするのかが理解できないのだ。
 「多くの子どもは教師の言いつけを6割くらいにしか真に受けないが、アスペの子は100%守らなければならないと思いパニックになる」と、昨年ある講演会で、ある小学校の先生がそうおっしゃったのを聴き、「ああ、これだ」と納得した。
 私は、無視をされて凹んでいる彼、彼女らに言う、
 「文化のちがいで人を差別したり、意地悪する人からは離れていましょう。大丈夫よ。あなたを理解してくれる人は必ずいるから」
 本当に大丈夫だ。目に見えない、人にはちょっと分かりづらい発達障害という特性をもったおかげで、私は人を差別したり、人をいじめたりして楽しむ人間にならずに済んだと思っている。そして、いま、私の傍らにいる人々は、私の一番のよき理解者であり伴走者である。発達障害をもって生まれて人生を味わい深く生きることができる。
 そしていまは「発達障害は社会の彩りである」と多くの人が心から思うような、豊かな地域社会という土壌づくりを目標に、日々の活動にいそしむことが、よろこびである。

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